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手術は一時間程度と言われていたが、長くも短くもあった。
家族待合室には、我々の他に3組の家族が待機していた。皆、落ち着かない様子だった。
ヘルニアの手術自体はよくあるそうなので、簡単らしいのだが、通常はもう少し大きくなってから...というのを聞かされると少し不安になる。しかし、手持ち無沙汰なので、妻はひよこくらぶ、俺はDIMEを読みながら待った。
周りの家族が呼ばれる。ほぼ一時間後、手術を終えたらしい初めてみる医師が「○○さんですか?」と声を掛けてきた。
「無事、終わりました。」ほっとした瞬間、「但し、袋は薄いのでわきが破れて再発したり、何度もかんとんを起こしているので、最悪の場合、陰嚢(キンタマ)が萎縮してしまう恐れがあります。」メチャメチャ不意打ちをくらってしまった。
俺も妻も聞き返す余裕は無く、ただ「ありがとうございました」というのが精一杯だった。
先生が立ち去った後、「キンタマが片っぽ、一生、縮んじゃうってことだよね?」と妻に話しかけると、妻も泣き出しそうだった。「大丈夫だよね?」
次に担当になっていた医師が次男が術後、運ばれたPICU(小児集中治療センター)へ案内してくれた。とりあえず礼をいい、先ほどの医師の話を聞いてみた。
可能性としては低いが、無い訳では無いということだった。とっても凹んだ。しかし、妻の入院の時から、医者は最悪の状態をまず伝える!という思いがあったので、「大丈夫だ、大丈夫だ」と言い聞かせることにした。先生にいつ頃、萎縮するかどうか、わかるか聞いたが明確な回答は無かった。
PICUでは、次男はいたって元気だった。こども病院は重い病気の子が多いためか、他に泣き声は聞こえなかったが、次男の泣き声だけが響いていた。
3時間ほどの間、暴れるために付けられていた色んなモニターは何度も外れ、機械が警告音を発する度に看護婦がとんできた。また点滴も二度も差し直すことになった。朝からミルクを飲ませてもらえない次男は、点滴で栄養は足りているとはいえ、お腹がすっていたのだろう...
できることは、とりあえず抱いてやるだけだった。
手術跡を見たが、痛々しく、キンタマは腫れ上がっていた。何度もかんとんをおこしたために炎症をおこしているらしかった。腫れがひいて欲しかったが、そのまま萎縮されるのだけはゴメンだ。医師からは当分、腫れが残るだろうとの話。代われるものなら代わってやりたい。
とにかく、手術は無事、終わったのだ。明日には連れて帰れるらしい。